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神話4 『三部の教え』
『ナグ・ハマディ文書』より
■1.唯一なる父について

 万物の根源である父は、彼自身の他にはまだ何も存在しないときから、すでに存在した。他の誰かによって生み出されたものではない彼こそが、本来の意味で父であり、神なのである。この神は、「知りえざる者、いかなる思考によっても知解しえざる者、いかなる物によっても見られえざる者、いかなる言葉によっても語りえざる者、いかなる手によっても触りえざる者」であり、自分自身を思考する者とされる。ただ一人唯一なる者である父は、「幹と枝と実をそなえた根のような仕方で存在する」のである。

■2.御子と教会

 「父」なる至高神と共に始源的存在者に数えられるのは、「御子」と「教会」である。御子は父によって最初に生み出された者であり、彼に先立つものが誰もいない「独り子」であって、神と共に永遠に共存する。また教会は、これ以降の無数のアイオーンたちを生み出し、それによって形成されるものである。

■3.アイオーンたち

 父は、自らは減少することなく、その思考によって次々にアイオーンたちを生み出す。また、父はアイオーンたちについて知悉していたが、アイオーンたちは父を知らなかった。「父はアイオーンたちを思考として生み出し、種子の状態に置いた」のであって、彼らは「胎児」として必要なものを十分備えていたが、自分自身が何に由来するか、永遠に存在する者とは何か、を知らなかった。そして御子は、アイオーンたちに対して父の存在を啓示した。なぜなら、「アイオーンたちには御子を見ることが可能であり、彼らが御子について知ることも語ることも可能」だったからである。

■4.ロゴスの過失

 アイオーンたちは、把握不可能な父について沈黙を守っていたが、アイオーンの最後の一人であるロゴスは、父の知解不可能性を敢えて把握し、これを賛美したいと考えた。ロゴスは思い上がりと過剰な愛によって、父に向かって突き進んだ。しかし、父は彼から離れ、境界を固くした。そしてロゴスは、「確固たるものとして手に入れようと欲したものを、かえって影と映像と模写として生み出してしまった。なぜなら、彼は光の輝きに耐えることができず、下にある深淵の方を眺めてしまい、心を二つに分けてしまったからである」。こうしてロゴスは二つに分裂したのだった。とはいえ、これらの出来事は、完全に否定的なものとして評価されてはいない。何よりもそれはロゴスの「善き意図」によって行なわれたものであり、しかもその出来事は父の経綸によって予め定められていたことが強調される。

 分裂したロゴスのうち、完全である部分は、プレーローマ界に帰昇して行った。他方、思い上がった考えから生じた欠乏を抱えたロゴスは、プレーローマ界の外に留まった。そして、このロゴスの考えによって、不従順で覇権を好む多くの者が現れてきた。彼らはプレーローマと似ているが、その模写、映像、影、幻想に他ならず、理性と光を欠いている。しかし彼らは自分たち自身について、自分たち自身によって存在しており、始源を持たない者たちなのだと考えた。

■5.ロゴスの回心

 ロゴスは、これらの不従順な者たちのが発生する原因となったが、自分自身は一層の錯乱の中にあり続けていた。彼が見たのは、完全ではなく欠乏、一致の代わりに分裂、安定の代わりに混乱、安息の代わりに争乱であった。また、ロゴスは無力な者となっていたので、これらの者たちを滅ぼすこともできなかった。

 しかしロゴスは、別の意見と別の考えに立ち帰った。これがロゴスの「悔い改め」(回心)であり、それは不従順な者たちを裁いて破滅させ、破滅に抵抗して戦う者たちには、怒りが彼らの後を追いかけたのだった。ロゴスは回心した後に、真に存在する者たちを想起し、上なるロゴスのための祈りを続けた。彼の祈りと想起は無為のままではなく、数多くの力(=心魂的な者たち)となった。そしてそれらの力は、模写に属する者たち(=物質的な者たち)よりははるかに善く、大きかったが、プレーローマ界に住まう先在の者たちと同等ではなかった。ロゴスは祈った後に自分を善き者に向け、心魂的な者たちに、栄光に満ちた先在者を探し、これを祈る性向を植えつけたのだった。

 物質的な者たちは、自分たちは初めなき者たちであると考え、思い上がって行動し、覇権を好んだ。このようにして、物質的な者たちと心魂的な者たちの二つの秩序は、互いに争ったのだった。

■6.救い主の流出

 プレーローマ界に帰昇した上なるロゴスは、欠乏の中にいる下なるロゴスのことを思い出し、彼のために執り成しをしたいと考えた。ロゴスがアイオーンたちに祈ると、彼らは下なるロゴスを助けることに同意した。アイオーンたちの申し出に父も同意し、彼らはそれによって一つの「実」を生み出した。この者は、「救い主」、「キリスト」、「定められた者たちの光」と呼ばれた。また、アイオーンたちも自分たち自身の力を生み出し、それらは救い主にとって、王に従う軍勢のようになった。

 救い主は、下なるロゴスの前に現れた。彼は完全なる光を輝かせ、上なる世界について教えて、言葉に尽くし難い喜びの中で彼を完全な者とした。そしてロゴスに、自分に対して不従順な者たちを分離して、投げ捨てる権威を与えたのだった。救い主は、稲妻のような光の姿で出現したが、心魂的な者たちは救い主の啓示を歓迎し、彼を拝んだ。それに対して模写に属する者たち(=物質的な者たち)は、この光をひどく恐れた。そして彼らは、「外の闇」、「カオス」、「深淵」と呼ばれる無知の穴の中に落ち込んでしまい、闇の上を支配する者となった。

■7.ロゴスのプレーローマと経綸

 救い主によって完全な者とされたロゴスは、上なるプレーローマの模像を創造する。ロゴスは自分の堅固さを取り戻し、「アイオーン」、「場所」、「救いの会堂」、「花嫁」、「王国」等と呼ばれるようになった。また、彼が創造したプレーローマにも、御子と教会が備えられた。ロゴスのプレーローマは心魂的な者の秩序と物質的な者の秩序の上に位置し、存在する事物のすべてに対する経綸を委ねられた。

 ロゴスは自らのプレーローマを純粋に保つと、その下にある二つの秩序を整えた。すなわち、心魂的な者たちを右に、物質的な者たちを左に配した。またロゴスは、経綸にしたがって、すべての天使たちやアルコーンたちに、それぞれの種族や役割、位階を与えたのだった。

■8.デミウルゴスの創造

 ロゴスは、すべてのアルコーンたちの上に一人のアルコーンを置いた。彼は、「父」、「神」、「造物主」、「王」、「裁き人」等と呼ばれた。ロゴスは彼を手のように用いて、下の領域に働きかけ、これを整えた。デミウルゴスが口にした言葉は直ちに実現されたが、彼はそれがロゴスに導かれていることを知らず、自分一人で成し遂げたと考えて喜んだ。デミウルゴスは、自分に従う者には安息を、自分を信じない者には刑罰を定め、楽園や王国、また彼を助ける働き手たちを創造した。それらは、プレーローマ界の形に倣ったものであった。またデミウルゴスは、物質世界を「霊的な秩序」、「心魂的な秩序」「奴隷の秩序」の三層構造に整えた。

■9.人間の創造

 デミウルゴスは物質世界を創造した後、最後に人間を創造した。そして人間についても、ロゴスが目には見えない仕方で造物神と天使たちを動かし、人間を完成させたのだった。ロゴスは、自らの形(=霊的本質)を人間に与えた。しかし、それはデミウルゴスの口を通して与えられたために、デミウルゴスは自らが与えたものだと考えたのだった。また、デミウルゴスは人間に魂を、「左の者たち(=物質的な者たち)」は物質を与えた。

 このような人間の三区分から、楽園に生えている三種類の木々が区別される。すなわち、「生命の木」は霊的要素、「善悪を知る木」は心魂的要素、「その他の木」は物質的要素である。人間は最初、悪しき「その他の木」から取って食べていたが、邪悪で狡猾な蛇にそそのかされて「善悪を知る木」から取って食べ、デミウルゴスの定めた禁忌を破ることによって楽園から追放された。しかし、この悲劇的出来事もまた神の摂理によるものであって、人間があらゆる無知と動揺を経験した後に、永遠の生命と善なるものの贈与に与るためであった。

■10.哲学・神学の多様性

 世界に存在する二つの秩序(心魂的秩序と物質的秩序)が互いに競い合ったために、さまざまな哲学が説かれることになった。その中でも特に、「被造物の運動の恒常性とその調和に目を凝らす者たち」(=ストア派)や、現に存在する事物は「それ自体で在るものなのだ」と言う者たち(=エピクロス派)は、現に存在する事物の原因を知ることが出来ずにきた、として批判されている。ヘブライ人の中で義人や預言者たちは、幻想や模写によって覆われた思考によってではなく、彼の内側で働いている力に従って語った。しかし、彼らが語った言葉は多くの宗派によって改変して受け入れられ、解釈されることによって、多くの異端を生み出したのだった。しかし預言者たちは、救い主の宣教を受けることによって、救い主が受肉してこの世に到来すること、彼がロゴスに由来する生まれざる者であること、苦難を受ける者ではないことを教えた。

■11.救い主の到来

 救い主は霊的なロゴスに由来する者であったが、からだと心魂をもった幼子として孕まれ、この世に到来した。また、救い主と共に、霊的本質に由来する同伴者たちが到来した。彼らは別の経綸を委ねられており、使徒や福音宣教者となった。救い主であるイエス・キリストは、「約束の種子」を有している人々に対して、その種子が由来する場所へ再び帰っていくという教えを啓示したのだった。

■12.三種類の人類とそれぞれの運命

 救い主の到来は、人間に存在する三種類の種族を明らかにした。まず霊的な種族は、救い主が出現したとき、直ちに彼のもとに走り寄り、認識を授けられた。心魂的な種族は認識を授けられることをためらい、むしろ声によって教えを受け、やがて来るべきことへの保証を受けたのだった。物質的な種族にとって、光である救い主の到来は自らの滅びを意味し、これから身を隠そうとした。霊的な種族は完全な救いに、物質的な種族は完全な滅びに定められているが、心魂的種族はそれらの中央にあって二重の定めを受けており、見捨てられる方か、善なるものの方へかに、定められた脱出をすることになっている。

■13.洗礼と救いの道

 霊的な者たちが物質世界へ生まれ出たのは、無知と苦しみを彼らに経験させ、その中で彼らを訓練するためであったとされる。また、救いを必要とするのは人間たちだけではなく、天使たちや模像たち、プレーローマ、そしてそれらを救うキリスト自身も救いを必要としているのである。救いとは「終わりが始めと同じようになる」ことを意味し、救いに与るためには、父、御子、聖霊に対する信仰告白である洗礼を受ける必要がある。それらの洗礼はまた、「沈黙」、「新婦の部屋」、「永遠の生命」等と呼ばれている。こうして、キリストの中にある御国を告白するならば、不同性と変転の世界から脱出し、「男も女もなく、奴隷も自由人もなく、割礼も無割礼もなく、天使も人間もなく、キリストがすべてにおけるすべてとなる」のである。
[出典]『ナグ・ハマディ文書Ⅱ 福音書』
荒井献・大貫隆・小林稔・筒井賢治訳、岩波書店、1998年