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10.06.18 島田裕巳『葬式は、要らない』批判
●島田裕巳『葬式は、要らない』を読了。三十万部を超えるベストセラーになっているということで、以前から気になっていたのだが、ようやく読むことができた。しかし、「ベストセラーに名著なし」の言葉通り、良くも悪くも平板で散漫な内容だった。

●何より、葬式とは何か、これからどうするべきなのか、ということに対する著者の見解が一貫しておらず、ほとんど「素人の感想」の域を出ていない。それを象徴しているのが、『葬式は、要らない』という単純にして扇動的なタイトル。

●氏のブログを読めば分かるように http://bit.ly/basrv7 、この著作は『葬式は贅沢である』という題で出版される予定だったが、公刊の直前になって、おそらくは編集側の要請で、『葬式は、要らない』に変更になったそうである。

●葬式や墓が高額で贅沢になっているため、そのあり方を見直すべきだという主張と、葬式自体が不要だという主張は、言うまでもなく議論のレベルがまったく異なっている。タイトルを変更するのであれば、著作を最初から書き直すべきだが、島田は若干の修正を施しただけでそのまま出版している。

●アマゾンのレビューでも指摘されているが、本書で主張されるのは「葬式不要論」ではなく、「葬式仏教不要論」。江戸時代の寺請制度で一般化した「葬式仏教」が、現代人の生活に見合っておらず、理不尽な高額請求を強いるもの(平たく言えば「ぼったくり」)になっていることが批判的に描かれる。

●島田がこうした議論を展開するのは、本書が最初ではない。91年に公刊された『戒名』ですでに同じテーマが扱われており、今や「戒」を守っていない僧侶たちが故人に「戒名」を付与し、その際に受け取る戒名料によって生計を立てているという既成仏教の実態に対する批判には、一定の妥当性がある。

●しかし、島田の学者としての歩みを考えた場合、問題として指摘しなければならないのは、氏が既成仏教への批判を足がかりに、オウム真理教の肯定へと傾 たように思われることである。島田は、「出家」して「戒」を守り「修行」に専念するオウムを、仏教の本義に帰るものとして積極的に評価した。

●オウムはある意味では、「葬式仏教」から脱却した仏教のあり方を示したとも言いうるが、その結果どこに行き着いたのか。教団の内外で生み出された死者に対してオウムが行ったのは、その死体を焼却して遺棄するというものであり、「ポア」という名の究極的な「葬式不要論」が説かれることになった。

●今回の著作で、島田が再び「葬儀」の問題を取り上げていることを知り、私は氏が、オウム問題の経緯を踏まえた上で、以前の議論を根本的に再構築していることを(少しだけ)期待していたが、結果としては、まったくそうなっていなかったと言わざるを得ない。

●『葬式は、要らない』で示されているのは、「葬式不要論」なのか「葬式仏教不要論」なのかよく分からない散漫な議論であり、全体として、オウム以前の氏の主張からまったく変化していない。オウム擁護へと間接的につながることになった既成仏教批判に、再び回帰している。

●宗教学者に求められるのは、人間の社会がなぜ葬儀を必要とするのか、また、従来の社会においてもっとも「公」的な行事と考えられてきた葬儀が、近代においてはなぜ「私」事に貶められているのかを根本的に考察することだと思われるが、その仕事を島田に期待しても無理のようである。