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10.07.01 中沢新一批判
■大宅文庫で閲覧した雑誌記事のなかで、特に興味深かったのは、元オウム信者の高橋英利氏による中沢新一批判である、「僕と中沢新一さんのサリン事件」(『宝島30』1996年2月号)だった。以前から、とてもプロブレマティックな内容だという話を聞いていたが、ようやく読むことができた。

■サリン事件に衝撃を受けてオウムを脱退した高橋氏は、オウムが無差別テロに走った原因を、グルへの絶対服従という観念にあったと考えるようになる。そしてグルイズムの問題性について中沢に相談し、中沢の著作『虹の階梯』においても、その危険性が乗り越えられていないのではないかと問う。

■しかし中沢は、この問いにまともに答えようとしない。宗教はもともと危険なものなのに、君はその本質が分かっていない、だから事件の前にスルリと逃げ出してきてしまったんだ、といった数々の暴言を氏に発し、挙げ句の果てには一方的に「絶交」を宣言する。

■中沢の答えに満足できなかった高橋氏は(当然だ)、チベット仏教研究の第一人者である山口瑞鳳先生と面談し、同じ問いを繰り返す。これに対して山口先生は、チベット仏教全体が、仏教の本流からやや外れている傾向があること、中沢の信奉する「ニンマ派」はそのなかでも亜流であること、

■さらに中沢は、ニンマ派の修行すらまともにこなしていないということを明らかにする。また、宗教学とは本来、宗教が打ち出す真理性をいったん棚上げし、それを客観的に考察・分析することを旨とした学問であるのに、中沢のやっていることは「ミイラ取りがミイラになっている」と批判する。

■その後の中沢は、山口先生の批判に答えず、オウム問題に対する責任もまともに引き受けず、ただ事件が風化することだけを願っているように見える(実際に現段階で、かなり風化していると言わざるを得ない)。「馬鹿は死ななきゃ治らない」の言葉通り、今後の中沢に何かを期待しても無理だろう。

■しかし、私を含め、後続の宗教学者は、宗教学が今もこうした「借金」を抱えているということを肝に銘じる必要がある。そしてこの「借金」から目を背けている限り、宗教学が社会的な信用を回復することもないだろう。この記事は、宗教学者は必読であると感じた。