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10.07.09 先生はえらい?
●内田樹氏についての雑感。内田氏は、現在の日本でもっとも活躍している知識人の一人であり、その柔軟な思考には、私自身も教えられるところが多い。私は内田氏のブログの愛読者の一人であり、また色々な人に対して、氏の著作を推薦することもある。

●しかしながら、同じ研究者として私が内田氏を心からリスペクトしているかと言えば、残念ながらそうではない。内田氏がさまざまなテーマについて論じるもののなかには、時に首を傾げざるを得ないものがある。その一つは、『先生はえらい』という著作に代表される「師弟論」である。

●内田氏は、現代において師の権威を復権させることが必要であると説くが、その論の範型となっているのは、内田氏が師と仰ぐレヴィナスの逸話である。レヴィナスはもともと現象学などの哲学の研究者であったが、ハイデガーのナチ関与やホロコーストの事実に衝撃を受け、戦後に思想の転換を図る。

●その際にレヴィナスに大きな影響を与えたのが、シュシャーニ師という人物である。シュシャーニ師は放浪のラビとも言える不思議な人物で、聖書やタルムードに関する圧倒的な学識を持っていた。レヴィナスは彼から学ぶことで、ユダヤ教の伝統や聖書的な律法精神に目覚める。

●その後のレヴィナスは、一方で西洋哲学の伝統を、他方でユダヤ教の精神的伝統を軸とし、その両輪を用いながら、ホロコーストに至った西洋文化の流れを全面的に再考するという思想的試みを行う。そして内田氏は、レヴィナスの試みを高く評価し、レヴィナスこそ自分の「師」である、と公言する。

●言わばここには、シュシャーニ→レヴィナス→内田という師弟関係の系譜が成り立ち、そこで何らかの知の伝達が為されたということになる。そして、内田氏はそれを「先生はえらい」という言葉で表現する。

●アマゾンの『先生はえらい』の「著者コメント」で内田氏は、「『先生はえらい』だって、『えらい人』のことを『先生』ていうんだもん」という必殺の同語反復に到達したというのがことの真相であります」と説明している。しかし、この話はどこかおかしいのではないか、と私は懸念を覚える。

●というのは、レヴィナスがシュシャーニを「師」と仰いだのは、「先生=えらい」という空虚なトートロジーに基づいてのものではない。レヴィナスは、シュシャーニがユダヤ教の律法精神を体現しているからこそ彼を師と認めたのであり、そして自らもその伝統を継承することを覚悟したのである。

●このように、シュシャーニ→レヴィナスでは、師弟のあいだで継承されたものの内容が明らかなのだが、レヴィナス→内田では、実はそれがあまり明らかではない。内田氏は必ずしもユダヤ教の伝統を継承しているわけではないし、また私には、レヴィナスが「先生はえらい」と言ったとも思えない。

●さらに疑問に感じるのは、「先生=えらい」のトートロジーによって、オウム以降提起された「グルイズム」の問題を回避できるのだろうか、ということである。氏は、宗教学者の中沢新一やヨガ行者の成瀬雅春など、オウム問題で脛に傷を負った人物と対談し、しばしば彼らの言説を肯定的に評価する。

●この両者に共通するのは、タントラ的なグルイズムをその思想の根幹に据えていることである。中沢の『虹の階梯』には、疑問や不安があろうとも、とにかくまずはグルを信じることから真理が見えてくるのだといった、「鰯の頭も信心から」のようなエピソードがたくさん語られている。

●成瀬氏については、私は今のところよく知らないのだが、八〇年代に麻原とともに、空中浮揚のヨーギとして有名になった人物である。空中浮揚は、インドの聖者でアメリカに渡って「超越瞑想」を創始したマハリシという人物が大々的に提唱したのだが、それを日本に持ち込んだのが、成瀬や麻原だった。

●「私は空中に浮きます」と言うような人物は、師は師でもペテン師と見なすべきだと私は思うのだが、内田氏は成瀬氏の言説を明確に否定しない。 http://bit.ly/9iS6zM 本人がそう言うんだから浮くんだろうという答えに、私はこの骨法を師から学んだ、と叙述する。ん?

●やはり「先生=えらい」のトートロジーは、単なる詭弁なのではないだろうか。少なくとも私がある人を「師」と見なすのは、その人物が「学」の精神を体現していたり、宗教的な「法」の精神を体現している場合である。そして、生身の「師」ではなく、その向こうにある「学」や「法」に関心がある。

●弟子の体や魂を丸抱えにしてくれるような師に対して、現代人が大きな幻想を抱きがちなのは、何となく分かる。しかし今、学問が行うべきことは、その魅力や効用を説くことではない。むしろ、こういった言説がポピュラリティを獲得するのはなぜなのかを問うことであると、私には思われる。