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10.11.07 『大予言者カルキ』が描く終末
■しばらく前に、ゴア・ヴィダルの小説『大予言者カルキ』を読了した。ヒンドゥー教の神のヴィシュヌの化身を自称する新興宗教の教祖が、生物兵器によって世界に終末をもたらすという内容。オウム真理教のサリンによる無差別テロを予見した小説として、95年当時は何度か話題にもなった。

■この小説がオウム事件を予見していたと言うよりも、実は麻原彰晃は、間接的にこの小説の内容を知っていたと思われる節があるのだが、そのことはまた別の機会に論じたい。『カルキ』という小説は、現代の生物化学兵器を用いれば、この世に「終末」をもたらすことがいかに容易かを如実に示している。

■その意味で『カルキ』は、オウムを含む原理主義的な新興宗教が提示した、終末に対する恐怖や欲望のあり方を活写しているとも言い得るのだが、実際にこの小説を読んでみると、オウム的な終末観とはかなり相容れないものを含んでいると感じられた。

■私はしばらくのあいだ、『カルキ』の終末観が、オウムのそれとどう違うのかが良く分からなかったのだが、先日、佐々木さんの新著である『切りとれ、あの祈る手を』を読んでいて(献本ありがとうございます)、ふと気づかされることがあった。

■『切りとれ、あの祈る手を』の199頁に、終末が実際に到来し、人類が滅亡してしまうことは、「絶対的享楽」の対象になりうるような事柄ではまったくない、なぜならそのとき、その世界を劇的なものとして受け取る人間が誰一人生き残っていないから、という趣旨のことが述べられている。

■『カルキ』という小説の終末観も、実際にはこれに近い。かなりネタバレになってしまうが、この小説では、世界を終わらせるという教祖が登場し、人類の大量虐殺が実行され、最後は教祖であるカルキも死んでしまい、人類がまったく存在しない、ただただ静謐な世界が到来する。

■人類滅亡の物語は、人間が語る物語のなかでもっとも劇的なものでなければならないはずだが、『カルキ』という小説では、きわめて淡々と話が進み、最後には静謐な終末的世界が訪れる──こんなに清々しい世界なら、終末も悪くないな、と思わされるほどの。

■終末論を実際に実行してみると、そこには実は、劇的なものは何もない。ヴィダルが『カルキ』という小説で表現したかったのは、こういうことだったのではないだろうか。その意味ではこの小説は、究極の「アンチ終末論」的物語であると考えることができるようにも思われる。