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11.07.04 笹倉秀夫『法思想史講義』について
★笹倉秀夫『法思想史講義』(東京大学出版会・2007年)を読了。まさに「圧巻」という以外の表現が見つからない、きわめて優れた書物。上下巻で約700頁に及ぶ西洋法思想史の通史であり、読むのにかなりの時間を要したが、学ぶところの多いとても楽しい読書だった。

★日本の政治学や法哲学においては、学界を代表する碩学が西洋史の通史を執筆する慣例が見られ、これまでは南原繁『政治理論史』や福田歓一『政治学史』がその主な著作であったが、『法思想史講義』は、この前二著と並び立つと言って過言でないほどの高い水準の作品であると評価しうる。

★これまでしばしば述べてきたように、私自身は、福田歓一の『政治学史』をとりわけ深く愛読してきた。その思いは今でも変わらないが、この『法思想史講義』は、『政治学史』の叙述を「補足」するものとして考えても、その存在意義が十分に認められる。

★『法思想史講義』が『政治学史』を補足していると思われる点は、以下の通り。まず第一に、政治思想という歴史の表舞台だけではなく、それを裏側で支えている法理論にまで叙述が及んでいること。

★古代ローマ法から中世教会法を経て近代民法へと至る、いわゆる「ローマ法の継受」の問題は、西洋史を考察する上で避けて通れない重要なテーマだが、『法思想史講義』を一読すれば、その具体像がどのようなものであったかということについて、大枠を了解することができる。

★次に第二点としては、19世紀後半以降の思想史が丁寧に記述されていること。『政治学史』は、実質的にヘーゲルまででその叙述を終えていた。おそらく、当時の福田としては、19世紀後半以降の事柄は、まだ「歴史」として記述するには当たらない、という判断があったのではないかと思われる。

★それに対し『法思想史講義』では、マルクスやウェーバー、さらにはポストモダニズムの諸思想についてまで、適切に整理された批判的叙述が見られ、大いに参考になった。

★その他には、マキャベリの著作に代表されるさまざまな軍制論が、規範意識全般にもたらした影響についての記述や、家族という存在が、他の政治的諸力との相互関係においてどのような歴史的変遷を辿ったかということに関する図式化など、興味深い点は尽きない。

★本書を通読した上での私の率直な感想は、確固としたディシプリンが確立されている学問分野は、一見して地味ではあれ、着実な進歩が見られ、本当に羨ましいということであった。私自身は、政治学、法哲学、そして宗教学は、社会制度の歴史を扱うためのもっとも根幹的な学に数えられると考えている。

★ところが、私の専攻する宗教学では、「宗教学は確固とした研究対象も方法論も持たないゲリラ的学問である」といったとんでもない妄言が幅を利かせ続けており(この問題については、いずれ改めて論じる)、ディシプリンの練り上げという点において、他の諸学から大きく後れをとってしまった。

★とはいえ、後れをとったのでもう断念します、という訳にいかないので、私としては、近隣諸学の優れた伝統に範をとりつつ、宗教学におけるディシプリンの練り上げに努力したいと思う。宗教学が絶望的に停滞・後退しているという意識すら共有できていない段階なので、難しいことは分かっているのだが。

★また、特に政治学や宗教学に限らず、一般に思想研究を行う上での「足腰の強さ」を決定するものとは、古代から近現代へ至る歴史の全体像を了解していること、そして、歴史の流れを決定づけたような古典的著作を多く読み、その内容をできるだけ正確に理解していることにあると、私は考えている。

★古代を研究しているため、近代以降の思想史の展開が視野にない、あるいは、近現代の事象を研究していながら、そこに至る中世までの歴史について了解していないということでは、不可避的に、自らの研究対象の全体的輪郭を理解できず、それを相対化することもできないという視野狭窄に陥るだろう。

★さらに現代において、哲学や思想に関心を持つ人々は、アクチュアルな諸問題を積極的に取り上げる批評家や社会学者の言説に注意を向けがちな傾向があるが、研究者としての足腰がきわめて脆弱な彼らの言説を追うことに労力を費やすのは、時間をドブに捨てるのに等しい無意味な行為であると思われる。

★むしろ、本来の思想研究の役割とは、瞬間風速的な世の中の動向に目を奪われず、その底部で流れ続ける確固とした歴史的命脈を探り出すことにあるだろう。その意味でも、本気で思想研究に取り組みたいという志を持つ人々にとって、『法思想史講義』は必読の一冊になりうると考える。