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11.07.09 櫻井義秀先生の書評に答える
▼昨日発行された『週刊読書人』(7月8日号)に、拙著『オウム真理教の精神史』の書評が掲載された。http://t.co/SuoK67i 評者は、北海道大学の櫻井義秀先生。ご多忙のなか、書評の労を取っていただいたことに、深く感謝したい。

▼櫻井先生の書評は全体として、拙著における大胆な試みを好意的に評価しようとする内容のものであったが、いくつか含まれていた批判点のなかで、拙著の重要な趣旨を読み取り損ねているのではないか、と思われるものが一つあった。それについて、ここで簡単にコメントしておきたい。

▼その箇所の記述は、次の通り。「サリン事件をはじめとする一般市民・信者を多数殺傷した事件と宗教的精神の間に関係があるのかどうか。おそらく著者が気づいているように何もない」。

▼ここで櫻井先生は、オウムにおける宗教的精神と、そこで発動した暴力に関して、何の関係もないことに私が気づいている、と記述している。しかし、改めて反論するまでもないと思われるのだが、私はまったくそのように考えていない。むしろ拙著は、その関係を明らかにするためにこそ書かれている。

▼両者の関係について、『精神史』では事実上、さまざまな次元に渡る要因について考察されているのだが、そのもっとも重要なものは次の通り。神智学において超人への進化思想が、あるいはニーチェにおいて「超人か畜群か」という二元論が生まれ、それらの思想がナチズムに流入した。

▼ナチズムはその思想を、優生種と劣等種という人種論に仕立て上げ、さらには、劣等種の絶滅、「畜群粛清」を目的とした、BC兵器を始めとする大量破壊兵器の開発を行った。そしてオウムにおいては、ナチズムに見られるこのような思想と技術が、形を変えて継承されている。

▼拙著ではこうした議論が展開されており、その論旨は本文で何度か繰り返されているため、普通に通読すれば、それを読み落とすことはないはずなのだが・・・。櫻井先生は、書評の前半部で拙著の全体を的確に要約されているため、なぜ先ほど指摘した理解につながるのか、私にはまったく不明である。

▼書評記事というのは文字数が厳しく制限されるため、櫻井先生も、お考えになった批判を、今回の記事のなかでは十分に展開することができなかったのかもしれない。学会などでまた直接お会いできる機会があれば、より踏み込んだ批評や感想を伺ってみたいと、私は思っている。

   *櫻井先生の書評はこちら