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神話6 『この世の起源について』
『ナグ・ハマディ文書』より
■1.序文

 「この世のあらゆる神々と人間たちは、カオス(混沌の領域)よりも前には何も存在しない、と言っている」が、それが誤りであり、カオス以前にそれを生み出した「最初の業」が存在したことを論証しよう、と宣言する。

■2.「垂れ幕」としてのソフィアと「闇の世界」の生成

 「不死の本性が不朽なる者から完成したまさにその時に」、ピスティス(信仰)からソフィア(知恵)が流出した。ソフィアは、不死の者たち(アイオーンの神々)と「天的な仕方で生じてきた者たち」(おそらくは地上の者たちを指す)の間に存在し、彼らを隔てる「垂れ幕」となったのだった。真理の永遠の領域には「闇」は存在しなかったが、光の世界の外側にその「陰」として存在した。それは「無限のカオス」と呼ばれ、そこに神々の種族と地上世界が生じてきた。さらにカオスの中には、「妬み」「水」「物質」が次々と生成してきた。

■3.ピスティスの到来とヤルダバオートの誕生

 これらのことが生じたとき、「生まれ損ないのように投げ捨てられた物質」、すなわち闇の世界にピスティスが到来した。ピスティスは、それが自分の過ちから生じたことを知り、動揺する。その「動揺」は実体化し、カオスの中へ逃げ込んだので、ピスティスはそれに近づいて行った。そしてピスティス・ソフィアが、それが物質とあらゆる諸力たちの上に君臨することを望むと、ライオンに似た男女(両性具有)である一人のアルコーンが水から現れてきた。彼は自分がどこから生じてきたのかを知らなかったが、ピスティス・ソフィアが「若者よ、こちらの場所へ渡ってきなさい!」と呼びかけた。この意味を解けば、「ヤルダバオート」になるとされる。その日以来「言葉」の原理が現れ、それによって生じたものを神々と天使たちと人間たちが完成させた。ヤルダバオートが物質に対する権力を持つ者となったとき、ピスティス・ソフィアは自らの光に向かって帰昇していった。

■4.ヤルダバオートの世界創造

 ヤルダバオートは「言葉」の力によって、最初に天と地を創造する。次に彼は、七人の男女なる息子たちを創造する。それらの男性名と女性名は、以下の通りである。

   男性名             女性名
 1 (ヤルダバオート?)     プロノイア・サンバタス
 2 イャオー             支配
 3 サバオート           神性
 4 アドーナイオス         王国
 5 エローアイオス         妬み
 6 オーライオス           富裕
 7 アスタファイオス        ソフィア

 これらの神々は、ピスティスの意志によって、「彼らよりも先に存在する不死の原像(アイオーンたち)に対応して男女となった」。ヤルダバオートは彼らのためにそれぞれ美しい天を創造し、玉座や天使たちを与えた。

 もろもろの天を造り終えて、ヤルダバオートは自分を誇り、すべての神々と天使たちは彼を誉め讃えた。ヤルダバオートはますます誇り高ぶり、彼らに言った。「私は他の何物も必要としない。私こそが神である。私の他には何者も存在しない」。その時ピスティスはこの思い上がりを見て怒った。「お前は誤っている、サマエール(盲目の者)よ」。そして続けて言った。「お前より先に不死なる光の「人間」が存在するのである。この者が(やがて)お前たちのつくり物の中に現れるであろう。彼はお前を踏みつぶすであろう。まるで、陶工の粘土が踏みつぶされるように。そしてお前は、お前に従う者たちと共にお前の母、すなわち奈落へと降りてゆくことになるだろう」。ピスティスはこう語ると、自分の偉大さを水の中に現した。そして、光に向かって戻って行った。

■5.サバオートの回心と即位

 ヤルダバオートの息子であるサバオートは、ピスティスの声を聞いて彼女を称えた。それを見たピスティス・ソフィアは、サバオートの上に彼女の光を注ぎかけた。するとサバオートは、カオスの諸力全体に対する大いなる権力を受け取り、その日から「諸力の王」と呼ばれるようになった。サバオートは、父である「闇」と母である「奈落」を憎むようになる。そして、カオスのすべての権威たちはサバオートの光を妬んで、七つの天に大いなる戦いを引き起こした。ピスティス・ソフィアはこの戦いを見て、七人の天使長たちを派遣してサバオートを第七天に運び上げ、彼の面前に侍従として仕えさせた。彼女はさらに三人の天使長をサバオートのもとに送った。そして、彼女の娘であるゾーエーと大いなる権威とを彼に与えた。それは、ゾーエーがサバオートに「八つのもの(プレーローマ界)」の中に存在する全ての者たちについて教えるためであった。

 即位したサバオートは、自分の住処の前に玉座を造った。「それは四つの顔をしたケルビムと呼ばれる車の上に乗っていた。そのケルビムは四つの角のそれぞれに八つの彫像を備えていた。ライオンの像と雄牛の像と人間の像と鷲の像である」。サバオートはその玉座を中心として無数の天使たちの集会を造った。そしてそれは、「八つのもの」の中にある教会に類似していた。また彼は、「イエス・キリスト」を自分の右に、「聖霊の処女」を自分の左に据えた。

 ピスティス・ソフィアは、「八つのもの」についてサバオートに教えるために、また、世界が終末を迎えるまでカオスの諸々の天と諸力がサバオートのもとに留まるようにするために、サバオートの玉座の雲の中に留まっていた。そして彼女は、サバオートを闇から隔てて自分の右へ、ヤルダバオートを自分の左に据えた。ヤルダバオートは息子のサバオートが自分より優れているのを見てこれを妬み、「死」を生んだ。「死」は第六天に据えられ、さらに七人の男女なる息子たちを生んだのだった。それらは「男女なる悪霊」と呼ばれるが、男女名については以下の通りである。

  男性名    女性名
 1 妬み      立腹
 2 怒り      悲痛
 3 涙       快楽
 4 ため息    嘆息
 5 嘆き       呪い
 6 悲嘆      (欠)
 7 号泣      争い

 これに対抗して、サバオートと共にいるゾーエーは、「善良で罪のない多くの霊」と呼ばれる、男女なる七つの勢力を創造した。それらの男女名は以下の通りである。

  男性名           女性名
 1 妬むことのない者    平和
 2 至福なる者        喜悦
 3 喜び             歓喜
 4 真実なる者        至福
 5 悪意なき者        真理
 6 愛すべき者        愛
 7 信ずべき者        信仰

■6.光のアダムの到来と楽園の創造

 ヤルダバオートはピスティスの声を聞いたときに、彼女こそが自分に名前をつけた者であることに気づき、嘆息して自らの失態を恥じた。しかしそれと同時に、彼よりも先に別の者が存在することに神々や天使たちが気づいてしまうことを恐れ、誹りを無視してあえて言った。「もし私より先に誰が別の者がいるのなら、その者は現れるがよい。彼の光をわれわれが見るために」。そしてその発言に対して、上なる「八つの者」から「光のアダム」が到来する。

 ここから、挿話のような形式で、「楽園(エデンの園)」におけるさまざまな植物が発生する様子が描かれる。ヤルダバオートの伴侶であるプロノイアは「光のアダム」を見て欲情し、「処女の血」を地の上に漏らした。そこから男女なる「エロース」が誕生し、エロースの後からは、葡萄の木、無花果とザクロの木が地に生じた。また、「生命の木」、「知識の木」、「オリーブの木」は肯定的なものとして扱われている。すなわち、「生命の木」は「この世の終末に際して脱出するであろう者たちの魂を不死なるものにするため」、「知識の木」は「魂を悪霊たちの眠りから呼び覚まし、やがて権威たちとその天使たちを滅ぼすため」、「オリーブの木」は「最後の日々に現れてくるであろう諸王と義の大祭司とを聖別する(塗油)ため」である。

■7.人間の創造

 光のアダムの到来と帰昇を目にして、神々(アルコーンたち)はヤルダバオートに「われわれの業を滅ぼしてしまったこのものこそ神ではないのか」と尋ねる。それに対してヤルダバオートはその事実を認め、光の勢力によって滅ぼされないために光のアダムに倣って人間を創造し、光から生まれてくる者たちを自分たちに仕えさせる者とすることを画策する。

 しかし、サバオートのもとにいるソフィア・ゾーエーはこの企みを知り、その対抗策として、「自分自身の人間」、教示者たるエバを創造した。そして、ヤルダバオートと七人のアルコーンたちは心魂的人間であるアダムを創造した(ヤルダバオートは脳と髄を造ったとされる)。彼らはアダムを完成させたが、これは霊を持たない奇形児であり、動くことさえできなかった。アダムは四十日間放置されたが、四十日目にソフィア・ゾーエーが彼女の気息をアダムに送った。彼はそれによって地の上に動き始めたが、立ち上がることはできなかった。アルコーンたちはアダムが動き出したのを見て驚いたが、彼がなお立ち上がることのできないのを見て喜び、彼を楽園に監禁した。そこへソフィア・ゾーエーの娘であるエバが到来し、「生命の教示者」としてアダムに「すぐに地の上に起き上がりなさい!」と呼びかける。するとアダムは立ち上がり、エバを「生ける者たちの母」として賛美した。

■8.エバの凌辱

 権威たちはアダムが起き上がったことを知り、ひどく動揺して、何が起きたかを見るために七人の天使長を派遣した。彼らはアダムと話しているエバを見て、「さあ、集まれ、彼女を捕まえよう。そして彼女にわれわれの種子を浴びせよう。彼女は一度汚されれば、自分の光に戻ってゆくことはできなくなるであろう。そしてアダムには忘却をもたらし、エバが彼の肋骨から生じてきたかのように教えてやろうではないか」と話し合った。しかし、エバはこの思惑を知り、彼らの目に霧をかけて、その間に自分の模像(肉のエバ)をアダムの傍らに横たえ、自分自身は知識の木に留まったのだった。彼らは目が覚めるとエバの模像を見つけ、これが真のエバであると思って、その上に自分たちの種子を浴びせた。しかし彼らは、これによって自分自身を汚してしまったのである。

■9.楽園の追放

 アルコーンたちは協議して、アダムとエバ(肉のエバ)に、知識の木から取って食べることを禁止する。これは教示者であるエバと彼らを接触させないためであった。しかし教示者は「彼らすべてに優って賢い者(蛇)」の姿で彼らの所へやって来て、次のように語った。「彼らはお前たちの叡知が呼び覚まされ、邪悪な人間と善良な人間とのあいだの違いを知って、まるで神々のようになるであろうことを嫉妬して、食べさせないようにしたのである」。エバは教示者の言葉を信じ、知識の木の実を取って食べ、アダムにも与えた。こうして彼らの叡知は開き、自分たちが裸であるのに気付いて、アルコーンたちの醜さに吐き気を催した。

 アルコーンたちはアダムとエバが知識の木の実を食べたのを知り、呪いの言葉を吐いた。そしてアルコーンたちはアダムにさまざまな生き物の名前を付けさせ、彼が自分たちとは異質な認識に到達しているのを確かめたのだった。彼らは集まり、協議を巡らせて次のように言った。「見よ、アダムはわれわれの一人のようになり、光と闇の違いに気づいている。願わくば、今や彼がもう一度認識の木の場合のように誘惑されて、今度は生命の木に近づき、それから食べて、不死の者となって支配し、われわれの栄光を謗る者とならないことを!もしそうなれば、彼はわれわれと世を裁くであろう」。こうしてアルコーンたちはアダムとエバを楽園から追放して下方の地へ投げ捨て、生命の木をケルビムで取り囲んで守ったのだった。これに対してソフィア・ゾーエーはアルコーンたちの呪いの言葉を聞いて不機嫌になり、アルコーンたちをそれぞれの天から追放して下方の世界へ投げ捨てた。その結果、彼らは地上の悪しき霊となった。

■10.フェニックスに関する寓話

 ここで、古代地中海世界におけるフェニックス伝説を、これまでの記述に照らして寓意的に解釈する記述が挿入されているが、物語の本筋から離れるので割愛。

■11.「言葉」の到来

 地上に追放されたアルコーンたちは多くの悪霊たちを創造し、人間たちに多くの迷妄、魔術、偶像崇拝、流血、供儀、灌祭を教え込んだ。アダムとエバからはたくさんの人間たちが誕生したが、アルコーンたちがそれを支配し、無知の中に拘束したのである。

 至高神である「不死なる父」は、「罪に汚れていない霊」、「至福なる小さき者たち」を通して、物質世界に自らの模像を送り込んだ。そして最後には、あらゆる者に優った「言葉」が派遣された。「言葉」は「隠されているもので明らかにならないものはない。また、知られずにきたものは知られるであろう」と宣言し、これによってアルコーンたちの支配は解かれ、彼らの栄光は虚ろなものになったのだった。

■12.終末

 終末においては、ピスティス・ソフィアが到来し、ヤルダバオートやアルコーンたちを深淵に投げ捨てることになる。また、物質世界全体が振動し、諸々の天は崩壊する。そして、光が闇を切り裂き、これをぬぐい去って、欠乏を回復するのである。

 知識を得て「完全なる者」となった人々は、プレーローマ界に帰昇する。しかし、なお完全とはなっていない者たちは、「不死の者たちの王国の中で栄光を受けることになる」が、「王なき状態にまで到達することはない」とされる。
[出典]『ナグ・ハマディ文書Ⅰ 救済神話』
荒井献・大貫隆・小林稔・筒井賢治訳、岩波書店、1997年