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神話10 マニ教の教説
イブン・アン・ナディーム『学術書目録』およびテオドーロス・バル・コーナイ『評注蒐集』より
■1.光と闇の原理

 世界の太初に存在したのは、「光」と「闇」という二つの原理であった。光と闇は互いに分かれて存在しており、それぞれの大地には「光の王」と「闇の王」が住んでいた。光の王は自らの分身として、「柔和」、「知識」、「理知」、「奥義」、「洞察」を持っていた。これに対して闇の王の分身とは、「霧」、「火焔」、「熱風」、「毒」、「暗黒」である。

■2.闇の王が光の存在に気づく

 あるとき闇の王(「サタン」や「イブリース」と呼ばれる)は、自分より高いところにある光の輝きに気づいた。彼はその高貴さに驚愕すると同時に、それを手に入れたいと欲する。他方で光の世界もまた、闇の王の行為に気がつき、彼が死と破壊を企てていることを認識した。

■3.原人の創造

 闇の王の征服に対抗するために、光の王は「原人」を創造する。原人は、「大気」、「風」、「光」、「水」、「火」という五つの神々を、甲冑として身に纏った。「彼が身に纏った第一のものは静かな大気であり、次には燃えさかる光に満ちた高貴な大気を、あたかもマントを着るかのように羽織った。さらにその光の上に重ねて、今度はアトム(原子)で満ち満ちた水を着て、さらに吹きまくる風で覆った。それに加えて火を楯と槍のように手に取ると、楽園から下方に向かって突撃し、戦いの場となるべき場所に接する領域の境のところまでやってきた」。

■4.光が闇に呑み込まれる

 光の王が原人を派遣したのに対して、闇の王もまた、五人の種族(「濃煙」、「炎」、「闇」、「熱風」、「霧」)を集めて自らの甲冑とし、原人に立ち向かった。闇の王と原人は長い間戦い続けたが、やがて闇の王が勝利を収めたのである。闇の王は原人が持っていた光を呑み込んでしまうとともに、原人とその配下の種族を闇の世界に監禁してしまった。

■5.光と闇の混合

 原人が闇の王に敗れるのを見た光の王は、原人を救済するために「光の友」を派遣した。これによって原人は監禁を解かれ、何とか救い出されたが、彼がその身に纏っていた五つの光の要素は、闇の要素と混合してしまった。原人は闇の大地の最深部へと降りていき、暗黒の五つの種族の根を断ち切って後続が育たないようにするとともに、彼に属する天使の一人に、光と闇の混合物を光の世界と闇の世界の境界にまで引き上げるように命じた。

■6.世界の創造

 光の王は、配下の天使の一人に、これらの混合物を素材として世界を造るように命じた。そこで天使は、十の天と八の大地を造り、各天使にそれぞれの支配を委任した。次いで光の王は、太陽と月を創造し、「光の船」として大空に浮かべた。このようにして、現在ある世界が創造されたのである。

■7.光の使者とアダマスの派遣

 原人や神々の祈りに応えて、光の王は「第三の使者」を呼び出した。光の使者は世界に到来し、その姿を現したが、それは男性でも女性でもあるものであった。闇の神々は光の使者の姿を目にし、そのあまりの美しさに、彼への情欲で一杯になってしまう。「その情欲の直中で彼らは、あの光、すなわち五人の光り輝く神々から彼らが呑み込んでいた光を、自分たちの内側から漏らし始めた」。光の使者は、彼らが漏らした体液から「光」と「罪」を分離し、「光」を回収する。そして、地に落ちた「罪」の部分からは、闇の王に似たおぞましい獣が生み出された。光の世界は「アダマス」を派遣し、これを討伐させたのだった。

■8.人間の誕生

 光の使者が去ってしまってなお、闇の神々はむなしくその美しい姿を追い求めていた。すると、闇の王の息子のアシャクルーンが彼らに、「お前たちの息子と娘たちを私のところに連れて来なさい。この私が、お前たちが見たという姿と同じものを造ってやろう!」と呼びかける。彼らが子供たちを連れてきてアシャクルーンに引き渡すと、アシャクルーンは男の子を、その連れ合いであるネブローエールは女の子をそれぞれ食い尽くし、その後に性行をして、息子と娘を産み落とした。光の使者に似ているこれらの子供たちは、アダムとエバと呼ばれた。

■9.イエスの派遣

 天使たちの求めに応じ、アダムとエバを闇の勢力の支配から解放するために、イエスが派遣される。イエスはアダムに近づき、彼を死の眠りから呼び覚ました。また、アダムに取り憑いた誘惑の悪霊を追い払い、無数のアルコーンたちを捕縛した。さらにイエスは、アダムに生命の木の実を食べさせたので、これによってアダムは自分が何者であるかを知ったのである。悲嘆のあまりに、アダムは次のように叫ぶ。「禍いだ、禍いだ、私のこの肉体を造った者、私の魂を食い尽くす者、私を奴隷の身に貶めた謀反者たちよ!」

■10.カインとアベル

 その一方でエバは、一人のアルコーンの性欲の対象となり、はなはだ醜い男の子であるカインを産んだ。さらにカインは母親のエバと交わり、それによってアベルが産まれた。カインはなおもエバと交わり、二人の娘を産む。その名は「世界の賢女」と「所有欲の娘」であり、カインは「所有欲の娘」を、アベルは「世界の賢女」を妻とした。その後、天使の一人が「世界の賢女」のもとにやってきて、彼女と交わったため、二人の娘が産まれた。これを見たアベルは、カインが自分の妻と交わったのではないかと疑い、カインを非難したため、カインは激しく腹を立て、アベルに襲いかかって石でその脳髄を打ち砕き、殺してしまったのである。

■11.セツの誕生

 エバと交わったアルコーンは、自分の息子が引き起こした惨劇を見て困惑した。彼はエバに魔術の言葉を教えて、アダムに魔術をかけるように命じた。しかしエバはアダムと交わり、一人の優美な、見目麗しい息子を産んだのだった。アルコーンはこれに怒り、その子どもを殺そうとしたが、アダムは息子を連れてその場を離れていった。そしてアダムは息子の周囲に三重に円を描き、「光の王」、「原人」、「生命の霊」の名前を記して神に祈りを捧げた。これを見たアルコーンたちは、一目散にそこから退散した。アダムはこの息子にセツと名づけた。

 アルコーンはエバに、アダムを自分たちのところへ連れて帰るように命令した。エバはアダムのもとを訪れ、再び肉欲のままに彼と交わろうとしたが、セツはこの行為を非難して言った、「さあ、私たちは立ち上がって東の方にある光と神の知恵に向かって急ぎましょう」。こうして、アダムとセツ、「世界の賢女」とその娘たちは、連れだって光の方へと歩んだ。これに対し、エバ、カイン、「所有欲の娘」は奈落に落ち込んだのだった。

■12.人間の運命と終末

 死を迎えるに際して、人間の運命は三つに分かたれる。「真実なる者」が死ぬと、光の神々が彼を迎え、彼は光の船である月を通過して光の世界へと帰って行く。その肉体は闇に属するものであるため、奈落へと投げ捨てられる。「真実なる者たちを守る者」が死ぬと、光の神々とともに、悪魔たちもまたそこに現れる。彼は光の神々に取りなしを求めるが、その罪障が完全にぬぐい去られるまでは、救済されることはないのである。「所有欲と肉欲の支配のもとに屈服してしまった罪人」が死ぬと、悪魔たちだけが現れ、彼に拷問を加える。それは世界の終末まで続き、最後には世界とともに奈落の中に投げ込まれてしまう。

 世界の終末に際しては、「原人」や「生命の霊」といった光の神々が来臨する。彼らは世界の周囲をめぐり、その中を眺めおろして、「真実なる者」たちを救い出して光の世界へと帰昇させる。また、太陽と月は闇と混じり合った光を抽出し、これを光の世界へと手渡すのである。光が闇から分かたれるとき、世界の運動を支配していた天使たちが撤退してしまうため、世界は崩壊して火が激しく噴き出す。この火災は一四六八年の間続き、これによって世界は完全に燃え尽きてしまうのである。
[出典]『グノーシスの神話』大貫隆訳・著、岩波書店、1999年