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10.12.08 森達也『A3』について
●先頃発売された、森達也氏の『A3』を読了。森氏の代表的仕事であるオウム取材の、(おそらくは)完結編となる作品。2005年2月から2007年10月にかけて『プレイボーイ』誌で連載された原稿が元になっているが、大幅に加筆されており、とても読み応えがあった。

●森氏が『A』シリーズの三作目を、文字媒体で製作することを決意した切っ掛けとなったのは、麻原彰晃の第一審判決公判に立ち会い、そこで何か異様な事態が進行していることを感じ取ったからであるとされている。

●森氏によれば、麻原の精神はすでに深い昏迷状態にあり、第一審の段階において、訴訟能力を完全に失っていた。麻原の精神錯乱の徴候は、96年9月の公判の際から見られたが、その後に昏迷の度を深め、現在では他人とまったく意思疎通できない状態にあるという。

●『A3』の記述のなかでもっとも衝撃的なのは、96年以降の麻原の精神荒廃がどのように進んだか、また現在麻原が拘置所においてどのような扱いを受けているかということに関する、きわめて生々しい描写だろう。

●刑事訴訟法第314条の1によれば、被告人が心神喪失状態にあるときには、公判手続きを停止しなければならないが(68頁)、麻原の場合はこの条項が無視され、例外的な早さで裁判が結審した。また、紆余曲折の末、控訴手続きも棄却され、不十分な審議のまま一審が確定するという結末に至った。

●森氏は、麻原の裁判が、見方によっては数々の憲法違反を含むような「異例」ずくめのものであったことを、幾度も強調する。オウム真理教という特異なカルト宗団に対して、その実体を何としてでも明らかにするべきであったが、日本の司法や社会は、そのための方途を自ら封殺してしまった。

●実は『A3』の主題は、オウム真理教そのものではなく、オウムを取り囲む日本社会に向けられている。誰の記憶にも残っているように、95年当時、日本社会はオウムをめぐる狂騒に明け暮れたが、その後は急速に熱気が冷め、今ではオウムに関する記憶はほとんど忘却されかかっている。

●そのことは、マスコミや司法や行政においても基本的には同じである。オウムに対しては「よく分からないが、とにかく絶対悪」という単色的なイメージが付与され、その実体が解明されないまま、団体規制法という治安立法が制定され、裁判においてもデュー・プロセス・オブ・ローの無視が常態となった。

●この意味において『A3』が追求しているのは、良くも悪くも、オウムの実体を明らかにするということではなく、「分からないもの」をあえて放置したまま、しかしその対象を中心として水面下で変化し続ける日本社会のあり方についてである、と言うことができる。

●多くのジャーナリストが、オウムは悪であるということを前提とするなか、森氏の取材は、とにかく先入観を捨ててありのままの姿を見てみよう、というスタンスに貫かれている。麻原の家族やオウムの元信者たちの姿についても、『A3』では、これまで見えなかった別の一面が描き出されている。

●本書を読んでも、オウムとは何だったのか、という問いに対して直接的な答えが与えられるわけではないが、その筆致はむしろ、オウムを生むに至った日本社会の根深い精神構造を、具体的に触知しているという印象を受けた。オウム問題を引き続き考えていきたい人にとっては、必読の一冊。