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11.03.02 想田和広監督『選挙』について
★想田和弘監督のドキュメンタリー映画『選挙』を、DVDで見た。以前から、一度見てみたいと思っていたのだけれど。最初は、良くある選挙風景の記録映画だと思って見ていたが、ジワジワとこの世界の「異常」さが伝わってくるという印象を抱いた。

★主人公である山内和彦氏は、東京大学卒業後、切手・コイン商を営んでいた人物で、政治に関してはまったくの素人。二〇〇五年に行われた川崎市議補選に際し、自民党が行った公募に応募して選出され、選挙に臨むことになった。

★時は小泉郵政改革の真っ只中であり、山内氏は、小泉総理を含む自民党組織からの全面的な支援を受け、選挙を戦うことになる。

★言うまでもなく、その手法は、絵に描いたような「どぶ板選挙」。選対本部から山内氏に課される指令は、有権者は難しいことは聞きたがらない、特に歩いている有権者は3秒しか人の話を聞かないので、政策については話さず、とにかく自分の名前を連呼し続けるということ。

★また、誰でも構わないので、とにかく相手の目を見て、笑顔で握手をしてお辞儀をするということ。カーネル・サンダース人形にも握手、電柱にもお辞儀・・・といったコミカルな徹底ぶり。

★政策論は重視されないにもかかわらず、自分の奥さんを「妻」と呼ぶことは禁止され、必ず「家内」と言わなければならないなど、意味が良く分からない内部ルールは多数存在する。山内氏はそのたびに当惑を覚えながらも、選挙の狂騒のなかで、盲目的にそれに従ってゆく。

★映画の全体を見て私が感じたのは、「どぶ板選挙」の経験は、自己啓発セミナーでその参加者が受ける経験ときわめて類似しているのではないか、ということであった。

★個人の人格が本来持っている陰影は否定され、とにかくポジティブな人格を演じ続けるように強制される。また、奇妙な内部ルールを強引に押し付けられ、それに対して常識的な疑問を抱くことは、無視されるか否定される。

★今は市議を辞めた山内氏は、当時の経験を、「自民党をぶっ壊すと語った小泉総理にあこがれて選挙に臨んだが、壊されたのは自分だった」と語っている。http://bit.ly/hicQa9 この選挙からしばらくのあいだ、山内氏は、人格解離の症状に苦しめられたのではないだろうか。

★映画では、市民のため、国民のため、という文句が連呼されるが、こうした仕方で議員を選ぶことが何ら国民のためにはならないのは、少し考えれば分かることだろう。有権者が3秒しか話を聞かないのであれば、どうやって内容のある話を届かせるかを考えることが、真の意味で政治の名に値するはず。

★群衆に向かって候補者の名前を連呼し続けるというのは、日本の選挙に特有の慣習となっているが、むしろこうした行為こそを、法的に禁止すべきではないだろうか。選挙でのネット利用を解禁し、代わりに演説カーを禁止するだけでも、日本の社会はほんの少しだけ住みよくなると思うのだが。